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松  林
歳三はその足で近藤が寝ている御城代下屋敷にもどり、
「どうやらうそじゃねえな。将軍も会津中将も、城から消えた、てのは」
と、近藤の枕もとでいった。
「ああ、無事、落ちられたようだ」
近藤は小さな声でいった。落ちた、てもんじゃないよ、と歳三はにがい顔をしてみせた。
「されば出陣する。一同部署についておれ」
と命じて奥へひっこむとすぐ変装し、家来にも告げず上様、殿様は逃げた。戦場からはかれらのために闘った戦士たちが帰っていないのである。かれらは、ひとことのねぎらいもかけず、負傷者の顔もみず、逃げた。
(どうも、古今聞いたこともねえな)
歳三は頭をかかえる思いだった。
が、近藤は、京洛時代の最後のころは「政客」として諸藩の士とまじわっただけに、気持は歳三と同じではない。おぼろげながら、時勢というものがわかるのだ。
わかりかたが、珍妙なだけである。
「歳《とし》、こんどの戦さァ、ただの戦さじゃねえよ。ちィとちがうんだ」
「どこがちがう」
「おめえにゃ、わからねえよ」
「あんたにはわかっているのか」
「いるさ」
大きな骨張った顔が、天井をむいている。
(どうもわかっている顔じゃねえな)
歳三もおかしくなった。近藤の政治感覚なんどは、現代《いま》でいえば田舎の市会議員程度である。
政治家がもつ必須要件は、哲学をもっていること、世界史的な動向のなかで物事を判断できる感覚、この二つである。幕末が煮えつまったころ、薩長志士の巨頭たちはすべてその二要件をそなえていた。
近藤には、ない。
ないが、おぼろげながら、京都時代に接触の多かった土佐藩参政後藤象二郎などの説をおもいだしていると、わかるような気がするのである。
近藤がもし、自分の頭のなかのモヤモヤを整理できる頭があったとすれば、
「歳、あの戦さは思想戦だよ」
といったであろう。思想戦とは、天子を薩長に奪われたということだ。戦いなかばで薩長藩は強引に錦旗を乞い、自軍を、
「官軍」
とした。
京に官軍の旗がひるがえると同時に、もっとも怖れたのは、将軍慶喜である。かれは尊王攘夷主義思想の総本山である水戸徳川家から入って一橋家を継ぎ、さらに将軍家を継いだ。
「自分が賊軍になる」
ということをもっとも怖れた。足利尊氏の史上の位置を連想した。幕末、倒幕、佐幕両派を問わず、すべての読書人の常識になっていたのは、南北朝史である。
南朝を追って足利幕府をつくった尊氏をもって史上最大の賊と判定したのは、水戸史学である。水戸の徳川|光圀《みつくに》のごときは、それまで史上無名の人物にちかかった尊氏の敵楠木正成を地下からゆりおこし、史上最大の忠臣とした。幕末志士のエネルギーは、
「正成たらん」
としたところにあった。正成ほど、後世に革命のエネルギーをあたえた人物はいないであろう。
京に錦旗がひるがえったとき、慶喜はこれ以上戦さをつづければ自分の名が後世にどう残るかを考えた。
「第二の尊氏」
である。
その意識が、慶喜に「自軍から脱走」という類のない態度をとらせた。こういう意識で政治的進退や軍事問題を考えざるをえないところに、幕末の奇妙さがある。
「歳、いまは戦国時代じゃねえ。元亀天正の世にうまれておれば、おまえやおれのようなやつは一国一城のあるじになれたろう。しかしどうもいまはちがう。上様が、暮夜ひそかにお城を落ちなすったのもそれだ」
|それ《ヽヽ》だ、といいながら、近藤の頭には|それ《ヽヽ》は緻密《ちみつ》には入っていない。
なんとなくわかるような気がするのである。
「それじゃ、将軍はいい。それと一緒にずらかった会津藩主はどうだ」
「歳、言葉をつつしめ」
「たれも聞いちゃいねえ。——とにかくおれは伏見、淀川べり、八幡《やはた》でさんざん戦ってみて、この眼で、会津人の戦いぶりをはっきりと見た。老人、少壮、弱年、あるいは士分足軽の区別なく会津藩士は骨のずいまで武士らしく戦った。もう、みごとというか、いまここで話していてもおれは涙が出てきて仕様がねえ。武士はあああるべきものだ」
「わかっている」
近藤はおもおもしくいった。
「しかし歳、戦えば戦うほど足利尊氏になってしまうのがこの世の中だよ」
(なにいってやがる)
歳三は、ぎょろっと眼をむいた。
「尊氏かなんだか知らねえが、人間、万世に照らして変わらねえものがあるはずだよ。その変わらねえ大事なものをめざして男は生きてゆくもんだ」
「歳、尊氏てものはな」
「尊氏、尊氏というが、将軍も尊氏になりたくなけりゃ、京へ押し出して薩長の手から錦旗をうばい、みずから官軍になればよいではないか」
「尊氏もそれをやった。が、やっぱり百世ののちまで賊名を着てしまった。それをご存じだから上様は城をお脱《ぬ》けになったのだ。歳は知るめえが、こういう筋は六百年のむかしにちゃんと出来ているのだ」
「六百年の昔にねえ」
歳三はからかうようにいった。
「すると、なんでも大昔の物語《すじ》にあわせて行動しなきゃならねえのか」
「そうよ」
近藤は、おもおもしくうなずいた。
歳三はくすくす笑って、
「どうも化け物と話しているようだ」
しかし言葉には出さず、だまって立ちあがった。
歳三には、教養、主義はないが、初学は近藤よりすぐれている。近藤のいうようなことは、百もわかっている。ただいいたいことは、
(慶喜も幕府高官も、なまじっか学問があるために、自分の意識に勝ったり負けたりしている)
ということであった。しかしそれをうまく云いあらわす表現が、歳三にはない。
(まあいまにみろ。おれが薩長の連中から錦旗をひったくって慶喜ら|ばけ《ヽヽ》もの《ヽヽ》に吠えづらかかせてやる)

 京橋の代官屋敷にもどると、隊長代務をとる二番隊組長永倉新八が出てきて、
「土方さん、知っているかい」
と、この男らしい不敵な笑いをうかべた。
「この件だろう」
歳三は親指を立てた。
「ああ、知っていたのか」
「永倉君。隊士はどうだ」
「別に動揺がないように思う。もっとも伏見で募《つの》った五、六人が、ぶらっと外出したきり、居なくなった」
「長州の間者だった、としておきたまえ。隊士の士気にかかわる」
ほどなく、大坂城の残留組のなかでの最高官である陸軍奉行・若年寄|並《なみ》の浅野|美作《みまさかの》守氏裕《かみうじひろ》から登城するように、との達示がきた。
歳三は、城内大広間に入った。なにしろ歳三の身分は、大御番組頭《おおごばんぐみがしら》である。
城内の幕臣らのなかでは、上席なほうであった。
「大評定でもあるのですか」
と、歳三は、新任歩兵頭の松平太郎にきいた。太郎とは、のちに函館まで遠征する運命になる。
「知りませんな」
松平太郎は、にこにこして、歳三にしきりと伏見戦争の話をききたがった。
好意をもっている。
丸顔で色が白く、まだ若い。洋装の戎服《じゆうふく》の似合う男であった。旗本の家にうまれ、はやくから蘭学に興味をもち、幕府の洋式訓練も受けた男である。函館では、外国人から、
「かれはフランスの貴族出身の陸軍士官を|ほう《ヽヽ》ふつ《ヽヽ》させる」
といわれた。
旧弊な旗本のなかから、もはや新種《しんしゆ》といっていいこういう若者がうまれてきている。
「土方先生の雷名はかねてうけたまわっておりました」
「いや」
歳三は話題をそらせ、鳥羽伏見における薩軍の銃器と射撃戦法をくわしく話したあと、
「松平さん、新選組もゆくゆくはあれに切りかえますよ」
「それァいい。賛成です。刀槍どころか、火縄銃やゲベール銃も、もはや銃ではありません。元込の連発銃がそろそろ外国でも出はじめている時代です。戦争は兵器が決定します」
「まったくそうだな」
「土方先生、これを機会にお近づきねがえませんか」
「私のほうこそ望むところです。ところで、洋式戦闘のわかりやすい書物をお持ちではありませんか。一冊読めばなんとかかたちがつくという」
「これはどうです」
松平太郎は、ポケットから和綴木版刷《わとじもくはんず》りの小冊子をとりだした。
歩兵心得
とある。
幕府の陸軍所から刊行した正式の歩兵操典である。「千八百六十年式」とあるのは、西暦であった。オランダ陸軍の一八六〇年度のものを翻訳したものである。
歳三がぱらぱらとめくると、物の呼称がオランダ語になっているが、見当はついた。
「ソルダート、とは平隊士のことですな」
「ほう、土方先生は蘭語をおやりですか」
「あてずっぽうですよ。なるほど、コムパクニーというのは、組ということらしい。オンドルオフィシールというのは士分で、コルポラールは下士か」
「おどろきましたな」
「こんなことは、和文の中のカナ文字だから見当はつきますよ。しかしこれは旧式のヤーゲル銃の操法ですな」
「そうです」
「あいつは会津も持っていてさんざんやられたから、新式銃のはありませんか」
「いや、銃の操法はちがいますが、隊の仕組みはかわりません。だからその本でも多少のお役に立つでしょう」
「まあ、ないよりましだ」
歳三が読みふけっていると、やがて浅野美作守があらわれて、江戸へ送る大坂残留兵の輸送法について指示をはじめた。途中、
「土方殿」
と、美作守がいった。
歳三は、「歩兵心得」を読んでいる。ひどくおもしろい。喧嘩の書である。歳三はこのとしになってこんなおもしろい本を読んだことがなかった。
「土方殿」
と、美作守がもう一度いった。
松平太郎が、歳三のひざをつついた。
(え?)
という表情で、歳三は顔をあげた。
「貴殿の新選組は、十二日出帆の軍艦|富士山丸《ふじやままる》に乗っていただきます。天保山岸壁に集結は十二日の早暁|四字《よじ》」
「承知しました」
軽く頭をさげ、そのまま眼を「歩兵心得」におとした。
(面白え)
この瞬間、城中でこれほど生き生きした表情の男はなかったろう。

(十二日なら、まだ間があるな)
歳三は馬上、濠端《ほりばた》を北にむかった。右手は現在《いま》でいえば大阪府庁であろう。いちめんの松林で、ちょっとさがって御定番《ごじようばん》屋敷など大小の武家屋敷が、ずらりとならんでいる。
歳三は、馬を北に進めた。
北の空が眼に痛いほどに晴れている。数日前、さんざんの敗北をとげたことなど、うそのような天地であった。
(地なんてものは、人事にかかわりもなく動いてやがるものらしいなあ)
歳三はふと、少年のような感傷におそわれた。この男の、時として出る癖である。
かれがときどき兄ゆずりの下手な俳句をひねるのは、たいていこういうときであった。
ふと川風が、鼻に聞こえてきた。新選組の宿陣である大坂代官屋敷(いまの京阪天満駅付近)も近いであろう。
前のほう、やや右手に京橋口の城門がみえる。
その京橋口の前あたりから南北にかけて長い土手があり、老松のびっしりと生《お》いならんだ林になっており、城の北郭《きたくるわ》の風情《ふぜい》をひどく優美にしていた。
鴎《かもめ》が、その松林のむこうを飛んでいる。
河に潮がさしのぼっている様子であった。
松林まできたとき、
(あっ)
と、歳三は馬からおりた。
自分でもはしたなくおもうほどうろたえていた。
松林に、お雪がいる。
遠い。
(まさか)
とおもったが、馬の口をとって歩きはじめた。
女も、歩きだした。
歩きはじめてからその体のくせで、お雪であるとわかった。
「大坂へいらっしゃっていたそうですな」
歳三は、微笑した、つもりである。が、微笑にならぬほど、動悸《どうき》がはげしかった。
歳三はおそらく、少年のような顔をしていたであろう。
「叱られるかと思いましたけど」
お雪は、できるだけ翳のない表情をつくろうとしてつとめているようであった。
あかるく微笑《わら》っていた。
が、その頬を指さきででもつつけば、もう崩れそうになる危険が、歳三にも感ぜられた。
「お雪さん、ここで待っていてください。すぐ参ります」
歳三は、徒歩でもほんの五分ほどむこうの代官屋敷へ馬で駈けた。
あっ、ととびおり、廊下を歩きながら、
「オフィシール(士官)はあつまってくれ」
と、いった。
みな、|きょ《ヽヽ》とん《ヽヽ》とした。口走った歳三も、はっと気がついた。さきほど読んだ「歩兵心得」の言葉が、頭にやきついていた。
「いや、組長、監察、伍長だ」
といいなおすと、みんな集まった。
「われわれは十二日、富士山丸で東帰する。当夜の屯営出発は、|丑ノ刻《ごぜんにじ》としよう。再挙は関東にもどってからだ。ところで」
と、歳三は顔をあからめた。
「私に、二日の休暇を頂きたい」
「どこへいらっしゃいます」
と、永倉新八がきいた。原田左之助も、
「あんたが休暇をとるとは、めずらしいことがあるものだ」
生真面目にいった。
「私には、女がいる」
あっ、とみんながおどろいた。歳三に女がいる、いない、ということより、そういうことがあっても妙に隠しだてしてきた性癖のこの男が、ひらきなおったようにいったからである。
「いるんだ。自分の女房であると思い、それ以上にも思っている」
「わかった」
原田が押しとめた。
「お行きなさい。あんたが不在中の隊務は、私と永倉と、そしてここにいる諸君とで見てゆこう。呼びあつめた本旨は、富士山丸などよりもそれだったのだろう」
「恩に着る」
「当然なことだ。しかしあんたにもそういう女がいたということは、うれしいことだ」
皮肉ではない。原田左之助が涙ぐむようにいった。
歳三に通《かよ》っている血は、鬼か蛇《じや》のようにいわれているからだ。
「おれまでうれしくなってきた」
と、永倉は顔を崩した。原田にも永倉にも女房というものがいる。が、この戦乱で、二人とも自分の女房がどこにいるのかも知らない。
歳三は、みなをひきとらせて、着更えをした。紋服、仙台平の袴をつけた。
いそいで、宿陣を出た。
松林へ行った。
暮色がこめはじめている。
「お雪殿」
影が動いた。
歳三は抱きよせた。もうたれがみていてもかまわない。
「お雪殿。どこか、水と松の美しいところへゆこう。二日、休暇をとった。そこで、ふたりで暮らそう」
「——うれしい」
と、お雪はきこえぬほどの声でいった。

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