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伏見の歳三
伏見。——
人家七千軒の宿駅である。
京から伏見街道を南へ三里、夏は真昼でも蚊のひどい町だ。街道をくだってこの宿場に入ると、最初が千本町《せんぼんちよう》。ついで、
鳥居町
玄蕃町
とつづき、やがて、木戸門がある。
その木戸門をくぐった鍋島町に、家康以来二百数十年、徳川の権威を誇ってきた伏見奉行所の宏壮な建物がある。維新後、兵営になったほどのひろい敷地が、灰色の練塀でかこまれている。
近藤、歳三らがこの伏見奉行所に移って、
「新選組本陣」
の関札をかかげたときは、隊士はわずかに六、七十名に減少していた。歳三の予想したとおり、あの夜、時勢の変化をみてついに屯営に帰らない者が多かったのである。
幕軍主力は大坂にいる。京の薩藩以下の「御所方《ごしよがた》」に対する最前線は伏見奉行所であった。その伏見奉行所をまもる新選組が六、七十人というのは、(ほかに会津藩兵の一部もいたとはいえ)ひどすぎるだろう。
ほかに、大砲が一門。
「これじゃ、仕様がねえよ」
近藤もあきれてしまい、大いそぎで大坂の幕軍幹部、会津藩とかけあい、それらのなかから、腕の立つのをえらんで増強してもらった。
兵力百五十人。
「まあまあ、どうにかこれでかたちがついたことだ」
と、近藤も安堵した。

 沖田総司は、新屯営に入っても、寝たっきりであった。
賄方《まかないかた》から運ばれてくる膳の上のものも、ほとんど箸をつけない日が多い。
「総司、食わねえのか」
と、歳三は日に一度は部屋に入ってきては、こわい顔でいった。
ここ一月、沖田の痩せようがめだってきている。
「食わねえと、死ぬぞ」
「ほしくないんです」
「虚労散はのんでいるか」
歳三の生家の家伝薬である。
「ええ、あれをのむと、すこし体に活気が出てくるような気がするんです。気のせいかしれませんけど」
「気のせいじゃない。おれがむかし売りあるいていた薬だ。効く」
「ええ」
微笑《わら》っている。
かつて沖田が率《ひき》いていた一番隊は、二番隊組長の永倉新八の兼務になっていた。
「新八が、早く癒《なお》ってくれないと荷が重くてこまる、といっていたよ」
「そうですか」
うなずいた表情が、もう疲れている。これだけの会話が苦になる、というのはよほど病勢がすすんでいるらしい。
そのうち、長州藩兵が、ぞくぞくと摂津|西宮《にしのみや》ノ浜《はま》に上陸し、京に入りはじめた。
「長州が?」
近藤は、その佐幕的立場から長州をもっともきらっている。近藤が、長州藩兵の西宮上陸をきいておどろいたのも、むりはなかった。長州は、元治《げんじ》元年夏のいわゆる蛤御門ノ変で京を騒がした罪により、幕府が朝廷にせまって、藩主の官位をうばい、恭順、罪を待つ、という立場にある藩である。
それが、朝命もまたずに勝手に兵をうごかし、西宮へ無断上陸したばかりか、京へ入って来つつあるというのだ。
「幕府をなんと心得ているのだ」
と、近藤は、激怒した。
が、すでに京都にある薩摩藩が宮廷工作をして、長州に対する処遇が一変していた。藩主父子の官位が復活されたばかりか、
「入洛して九門を護衛せよ」
という朝命が出ている。

 長州人の入洛は元治元年以来、四年ぶりである。もともと京都庶人は長州びいきで、慶応三年十二月十二日長州奇兵隊が堂々入洛してきたときには、京都市民は、そのタス(弾薬箱)の定紋をみて、
「長州様じゃ」
とおどろき、涙を流しておがむ者もあり、
「怖《こわ》や、怖や」
とささやく者もあった。長州軍が入洛した以上、その藩風から推して、もはや戦さはまぬがれぬと京都人はみたのであろう。
この日から毎日のように長州部隊が入洛し、ついに十七日、総大将毛利平六郎(甲斐守)のひきいる主力が摂津|打出浜《うちでのはま》に上陸し、砲車を曳きながら京にむかって移動しはじめた。

 こうした長州部隊が、新選組が駐屯する伏見奉行所の門前を、堂々と通過してゆくのである。
「これをゆるしておくのか」
と、近藤は、十八日早暁から、当時まだ二条城に残留していた幕府の大目付永井玄蕃頭|尚志《なおむね》に意見具申するため隊列を組んで出かけて行こうとした。
「もう、よせ」
歳三は、制止した。政治ずきの近藤がいまさら駈けまわったところで、こんな田舎政治家のような男の手におえる事態ではない。将軍慶喜がすでに家康以来の政権を奉還し、しかも王政復古の号令も出ているときである。
「歳、お前は知らねえ。王政復古てのは、すべて薩摩の陰謀なのだ。幕府はしてやられたのだ」
と、近藤は、ききかじってきた政局の内幕を歳三にいうのだが、歳三にはそんなことは興味はなかった。
「近藤さん、もう、談合、周旋、議論の時期じゃねえ」
と歳三はいうのだ。
「戦さで、事を決するんだよ。事態はそこまできている」
「わかっている。おれは永井玄蕃頭にそれをすすめにゆくのだ」
「要らざることさ」
「なに?」
「あんたはこの本陣の総大将だ。うろうろ駈けまわって居ちゃ、隊士がまとまってゆかない。戦さてのは、たったいま始まるかもしれねえんだぞ」
「歳、お前はばかだ」
「ばか?」
「新選組にあって天下の事を知らん。天下の策を知らぬ。戦さの前に策をととのえてこそ、勝つ」
「わかっている。が、われわれは幕軍の一隊にすぎぬ。天下の策は一隊の将がやるべきでなく、大坂にいるお偉方《えらがた》にまかせておけばよい。あんたは、動くな」
が、近藤は出かけた。
白馬に乗り、供は隊士二十名。いずれも新米の隊士である。それが京をめざし、竹田街道を走った。

奉行所に、望楼がある。
ちょうど本願寺の太鼓楼を小さくしたような建造物で、上へあがると、眼の前の御香宮《ごこうのみや》の森、桃山の丘陵、さらには伏見の町並がひと眼でみえた。
その正午、歳三は望楼にのぼった。
眼の下の街道を、これで何梯団目《なんていだんめ》かの長州部隊が通りはじめたからである。
人数は二百人あまり。
異様である。洋服に白帯を巻き、大小をさし、すべて新式のミニエー銃口径十五ミリをかつぎ、指揮官まで銃をもっている。
(カミクズ拾いのようなかっこうをしてやがる)
と歳三はおもった。
しかしそれだけに運動は軽快だろう、とおもいつつ、四年前の元治元年、この街道を攻めのぼってきた長州部隊が、大将は風折烏帽子《かざおりえぼし》に陣羽織、先祖重代の甲冑《かつちゆう》の下には錦の直垂《ひたたれ》を着、従う者はすべて戦国風の具足をつけ、火器といえば火縄銃ばかりであったことをおもうと、今昔《こんじやく》のおもいにたえなかった。
(あれから、四年か)
わずか、四年である。しかし長州の軍備は一変した。この攘夷主義、西洋ぎらいの長州藩が、幕府から第一次、第二次征伐をうけているあいだに、藩の軍制を必要上、洋式に切りかえた。京都の薩摩、土佐の部隊も、この長州とおなじ装備である。
(どうやら、世界が変わってきている——)
歳三は、眼のさめるおもいで、かれらの軍容を見おろしていた。
砲車が、ごろごろと曳かれてゆく。
これも、新式の火砲である。四|斤山砲《ポンドさんぽう》というやつだが、砲の内部(砲腔)にはねじがきざまれ、弾丸は、千メートル以上も飛ぶ。
それにひきかえ、新選組がもっているたった一門の大砲は、江戸火砲製造所でつくった国産品で、砲腔がつるつるのやつであり、有効射程は七百メートル程度であった。
これら長州兵の様子とくらべると、幕軍の装備は、四年前の長州とおなじであった。
幕府歩兵隊こそフランス式ではあるが、旗本の諸隊、会津以下の諸藩兵は、ほとんど日本式で、刀槍、火縄銃を主力武器とし、わずかに持っている洋式銃も、オランダ式ゲーベル銃という、照尺もついていない粗末な旧式銃である。
(勝てるかねえ)
が、兵力は、幕府のほうが、おそらく十倍を越すだろう。
(人数で押せば勝てる)
と、歳三はおもいかえした。
長州兵が、通りすぎたとき、ぱらぱらと昼の雨が降った。
陽は照っている。
(妙な天気だ)
と、望楼の窓から離れようとしたとき、ふと眼の下の路上で、ぱらりと蛇《じや》の目傘《めがさ》をひらいた女を見た。
(あっ、お雪か)
とおもったとき、すでにその女は、京町通へ抜ける露地に入りこんでいた。
歳三は、駈けおりた。
門をとび出した。
「どうなさいました」
と、門わきで隊士の一人が駈けよってきた。
「いや」
歳三は、にがい顔である。が、その表情のまま路上に突っ立ちつつも、気持が沸き立ってくるのをおさえかね、
「こ、ここで」
と、噴《ふ》きあげるようにいった。
「女を見かけなかったか、いま長州人が通りすぎたあとに。若い……いや、若いといっても中年増《ちゆうどしま》だろう。眉は落していない。蛇の目をさしていた。そういう女が、この門のあたりを通りすぎて、そこの露地へ消えた。それを……」
「土方先生」
隊士は、やはり歳三の挙動に異様さを感じたらしい。
「われわれここで、ずっと長州兵をみていました。しかしそういう女は」
歳三は歩きだしていた。
例の露地。——
入口にはいると、すでに隊士の眼はない。
歳三は暗い露地のなかを、なりふりかまわず走りだした。
京町通に出た。
(いない)
左右は、明るすぎるほどの街路である。
(錯覚であったか)
いや、ぱらりとひらいた傘の音まで、耳に残っている。しかし、考えてみると、あの高い望楼から傘のひらく音が、果してきこえるものだろうか。

 お雪はそのころ、京町通の「油桐屋《ゆとうや》」という軒の低い旅籠《はたご》にとまっていた。
歳三の手紙をうけとって以来、お雪はひそかに伏見へ二度もきている。
会うつもりは、なかった。
(あの人は、別れに来なかった。武士らしく会わずに戦場へゆきたい、と書いていた。そのくせ、会えば、自分が変わってしまうかもしれない、とも書いてあった)
このとき、歳三の筆蹟をお雪ははじめてみて、まずおどろいたことには、ひどく女性的な筆ぐせだということだった。
(これが、京の市中を戦慄させた土方歳三なのか)
と思ったのは、その文章であった。女でもこういう綿々とした書きかたはしないであろう。
(決して優しい人ではない。心の温かいひとでもない。しかし、どうであろう。これほど心弱いひとがあるだろうか)
お雪は、その心弱い歳三という男を、よそながらもひと目みて、別れたいとおもった。その想いが、お雪をこの町に来させた。
(もう、いらっしゃらないのかしら)
奉行所の練塀のなかは、数百の人数がいるとは思えないほど、いつも静もっている。
きょうは、朝、近藤が出てゆくのを軒端で見た。
ひるは、長州人の通過を見た。
しかし、歳三の姿だけは、いつも、どこにもなかった。
(縁が、もともと薄いのかもしれない)
お雪は、あきらめはじめている。ながい人生のほんの一時期に、あの男が影のように通りすぎた。それだけの縁なのかもしれない。
歳三は、おそい昼食をとった。
しばらく午睡した。
遠くで銃声がきこえ、背後の山に|こだ《ヽヽ》ま《ヽ》したが、一発きりで、やんだ。歳三は起きた。懐ろの時計が四|字《じ》半をさしている。
「なんだ、いまのは。——」
と、濡れ縁に出た。
ちょうど、庭に永倉新八がいた。
「さあ」
と、永倉がいった。
「どこかの藩が、調練でもやっているのでしょう」
「一発きりの調練かね」
歳三はくびをひねった。
のも、当然だったかもしれない。
この一発の銃声が、今後の新選組の指揮を歳三にとらせる運命になるのである。
その刻限。——
近藤は、前後二十人の隊士を従え、伏見街道を墨染《すみぞめ》にさしかかった。
尾張徳川家の伏見藩邸がある。
そのわきに空家が一軒あり、古びた格子を街道に曝《さら》している。
その格子の間から、鉄砲が一挺、わずかに銃口をのぞかせたのを、隊列の者はたれも気づかない。
空家の屋内には、富山弥兵衛、篠原泰之進、阿部十郎、加納道之助、佐原太郎、といった伊東甲子太郎の残党が待ち伏せていた。
かれらは、朝、近藤が京にむかったことを察知して、復讐の日を今日ときめた。
近藤が、この日、二条城、堀川の妾宅に寄り、二時すぎ、伏見街道にさしかかったことまで、十分に偵知している。
「隊士は二十人いる」
と、篠原はいった。
「ところがどの面をみても、覚えがない。どうやら新参の役立たずばかりだ。鉄砲一発ぶっぱなして斬りこめば逃げ散るだろう……」
油小路の仇を、伏見街道で討つつもりであった。いずれも新選組当時、使い手として鳴らした連中だけに、近藤勢の数をおそれていない。いまは、一同、京都の薩摩藩邸に陣借りしている。
やがて、近藤が、かつかつと馬を打たせてやってきた。
(来た。——)
と、篠原泰之進が、左眼をとじた。指をしぼりつつ、引鉄《ひきがね》をおとした。
轟《ごう》っ、と八匁玉が飛び出した。
弾は、馬上の近藤の右肩に食いこみ、肩胛骨《けんこうこつ》を割った。
「それっ」
と、伊東の残党は路上にとびだした。
近藤は、さすがに落馬せず、鞍に身を伏せ、街道を飛ぶように走りだした。
篠原らはそれを追いつつ、またたくまに隊士二、三人を斬り伏せたが、ついに近藤に太刀をあびせるまでにはいたらなかった。
近藤は、鞍壺に身を沈め、右肩の傷口に手をあてつつ、駈けた。
伏見本陣の門へ駈け入るなり、馬を捨て、玄関に入った。
歳三と、廊下で出あった。
「どうした」
「医者をたのむ。そう。外科だ」
近藤は自室に入り、はじめてころがった。血が畳を濡らしはじめている。
歳三は、永倉らに伏見町の捜索を命じ、医者が来るまでのあいだ、衣類をぬがせ、傷口を焼酎で洗ってやった。
「歳、傷はどんなものだ」
顔が苦痛でゆがんでいる。
「たいしたことはなかろう」
「お前のいうことをきいて、きょうはやめればよかった。骨はどうだ、骨は。骨がやられては、もう剣は使えねえよ」

 お雪がそのころ、屯営の前をとおり、ひっそりとまた「油桐屋」にもどった。

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