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祇園「山の尾」
京は、大寺《おおでら》四十、小寺五百。
それが、旧暦七月、盂蘭盆《うらぼん》の季節に入ると、この町のどの大路も露地も、にわかに念仏、鉦《かね》、読経《どきよう》の声にみちる。
「仏臭え」
と、歳三は、吐きすてるようにいった。武州の盆は土臭いものだが、こんな陰々滅々としたものではなかった。
「やりきれませんな。町を歩いていると、着物の縫目まで抹香《まつこう》のにおいがしみそうだ」
と、沖田までがいった。むろん新選組では、盆がきても隊士の供養はしない。その点、盆がきてもあっけらかんとしたものである。救うも救われぬも、神仏は自分の腰間の剣のみ、という緊張が、隊士の肚の底にまである。
そういう日の朝、隊から新仏《にいぼとけ》が出た。隊士とおぼしき者が、千本松原で惨殺されているという報らせが奉行所からあったのである。
「山崎君、島田君」
と、歳三は、監察方の連中をよんだ。
「行ってもらおう」
かれらは出かけて行った。
やがてもどってきて、副長室の歳三にまで報告した。
「死体は、赤沢|守人《もりと》でした」
という。背後から右肩に一太刀、これが最初の傷らしい。ついで前から左袈裟、首に二カ所。これは絶命してから斬ったらしく、血が出ず、白い脂肪がみえていた。
「そうか。——」
歳三は、しばらく考えた。やがて眼をぎらぎら光らせはじめたが、なにもいわない。監察たちも気味がわるくなったらしく、
「いずれ、とくと調べましたうえで」
と、退出した。
歳三は、すぐ、隣りの近藤の部屋をたずねた。
「なんだ」
そういったきり、近藤は顔をあげない。
字を習っている。独習である。
(三十の手習いだな)
と歳三はよくからかう。
もともと、近藤は関東にいたころはひどい文字を書いていたのだが、京にのぼってからは、
(新選組局長がこれでは)
と、にわかに発心《ほつしん》して手習いをはじめた。士大夫《したいふ》たる者の唯一の装飾は、書であろう。書がまずければ、それだけで相手にされないばあいも多い、と近藤は考えている。
「ほう」
歳三はのぞきこんだ。
「だいぶ、うまくなったな」
「もともと、手筋はいいのだ」
近藤の手習いは、徹頭徹尾、頼山陽の書風のまねであった。勤王運動の源流になったこの文学者の書風を近藤がもっとも好んだ、というのはおもしろい。
「歳も手習え」
「私かね」
「君もいつまでも武州の芋剣客ではあるまい」
「私はいいさ」
「いいことはないだろう。書は人を作るときいている」
「あれは、儒者のうそだ」
「君は独断が多くていけない」
「なに、こんな絵そらごとで人間ができるものか。私は我流でゆく、諸事。——」
「我流もいいがね。しかし」
「我流でいいのさ」
「しかし気は、鎮《しず》まるものだぞ」
「しずまっては、たまるまい。この乱世で、うかうか気をしずめていては、たちどころに白刃を受ける。あんたも、そんな妙な鋳型《いがた》を学んで、関東のあらえびすの気概をわすれてもらってはこまる」
「白刃といえば」
近藤は無用の議論を避け、話題を変えた。
「今暁、千本松原で斬られていた隊士は、赤沢守人だったそうだな」
「ほほう」
歳三は、急に眠そうな顔でいった。が、脳裏をすばやく駈けめぐったのは監察団を掌握している副長職の自分よりも、一足とびに局長近藤の耳に入れたのは、たれか、ということである。順がちがうではないか。順をみだすのは、組織を自分の作品のように心得ていた歳三にとって隊律|紊乱《びんらん》の最大の悪であった。
「たれかね、その、あんたの耳に入れたはねっかえりの監察は」
「監察ではない」
「ない?」
歳三は、近藤の手から筆をとりあげ、
「それはおかしい。私はたったいま、現場からもどった監察に話をきいた。それをあんたに伝えようと思って、ここへきている。ところが、あんたが、ひょっとすると監察よりも早く知っていた。どういうわけだろう」
「私は、だいぶ前にきいたよ」
「だいぶ前とは?」
「厠《かわや》に立ったときだから、一時間《はんとき》も前だろう。例の野口君(健司・助勤)、あれと廊下ですれちがったとき、野口君がいった。赤沢守人君が長州の連中にやられました、と」
「長州の連中に? 野口君が下手人まで知っているとは妙だな」
「この書は、どうだ」
近藤は、かきあげた山陽の詩をみせた。本能寺の長詩のなかの数句である。
「読めるだろう」
「ばかにしてもらってはこまる」
——老坂《おいのさか》西ニ下レバ|備中《びつちゆう》ノ道。
と、歳三は目読した。
(ひょっとすると)
歳三は、近藤のへたな筆《て》でかかれた長詩をゆっくり眼でひろってゆきながら、
(赤沢を斬ったのは、長州のやつらではなく芹沢一派ではないか。敵は、存外、本能寺にいそうだ)
カンである。
が、歳三は、自分のカンを、神仏よりも信じている。
野口健司は、新見、平山、平間とともに水戸以来の芹沢の股肱《てあし》の子分で、腕もたつ。弁もたつ。学もある、小才もきく。
が、薄っぺらで実がなく、屁《へ》のような男である。どうもああいう男は好かない。

歳三は、部屋にもどって、小者をよび、茶を淹《い》れさせた。
茶柱が、立った。
「縁起がよろしゅうございますな」
「国でもそういうが、京でも、そうか」
歳三は、茶碗のなかを苦い顔でのぞきながら、
(いったい、おれのような男にどんな縁起が来るというのだろう)
——さて、赤沢守人。
歳三は考えこんだ。
死んだ赤沢守人も、じつのところ、歳三はあまり好きではなかった。
新選組にめずらしく、長州脱藩である。
この六月、新選組主力が大坂へ出張したとき、天満の仮陣所(京屋・船宿)に駈けこんできた男で、
——同藩の者から、侮辱をうけた。
と口上をのべた。ああいう藩にはもどりたくありません。もどる気も毛頭ありません。むしろ新選組に加盟し、長州藩の動静をさぐる。そんなお役に立ちたい、といった。問いつめると、身分は下関の町人あがりの奇兵隊士で、歴とした家士ではない。だから藩への忠誠心も、もともと乏しかった。
——よかろう。
と、芹沢も、近藤もいった。
それで、監察部の手に属さしめ、表面は新選組とは無縁の体《てい》にして、依然、京都の長州屋敷に出入りさせた。
赤沢は二つ三つ情報をとってきたが、これが非常に的確で、最初疑っていたように長州が送りこんだ間者ではなさそうであった(というのは、このところ、長州方の間者として入隊する者が二、三あり、隊内でも摘発騒ぎがあって、御倉伊勢武《みくらいせたけ》、荒木田左馬助ら疑わしき者が斬られている)。
ところが、赤沢。
この男のふところには、新選組からわたされた金が潤沢にある。
だから、よく長州藩士や土州脱藩の連中をつれて、祇園、島原といった遊所へゆく。そういう場所で長州藩士の口から洩れた情報を、歳三のもとにもってくるのである。
ところで赤沢の情報には、思わぬ副産物があった。
祇園、島原で遊んでいると、たいていは、新選組の連中と顔をあわせる、というのである。それも芹沢鴨とその一派で、近藤一味は金がないから、ほとんど姿をみせない。
——ほう、それはおもしろいな。
と、歳三は、そのほうに興味をもった。
「赤沢君、どういう遊びぶりです」
「いや、もう」
ひどいものです、と赤沢はいった。遊興費の踏み倒しなどは、普通であるらしい。それより楼主にとって迷惑なのは、酒乱の芹沢は、酔いがまわると怒気を発して器物を割ったり、隣室の客に狼藉を仕掛けることだった。
このため祇園の某亭などは、町人はおろか、諸藩京都藩邸の公用方たちも足を踏み入れなくなり、灯のきえたようになっているという。
(やはり、そうか)
歳三も、そのことは、新選組の世話方である会津藩の重役からも、きいている。
近藤と土方が、三本木の料亭で、会津藩公用方外島機兵衛らと会食したときのことだ。
「近藤先生」
と、外島機兵衛がいった。
「京師では、いかに顕職の士でも、祇園と本願寺、知恩院、この三つの一つにでも憎まれれば役職から失脚する、ということがござる。ご存じでござるか」
「いや、いっこうに迂遠です」
「土方先生は?」
「さあ」
歳三は、杯をおいた。外島はいった。
「代々の所司代や地役人の謳《うた》いなした処世訓でござるが、僧と美妓は、いかなる権門の|ひい《ヽヽ》き《ヽ》があるかもしれず、かれらの蔭口は思わぬ高い所にとどくものです。じつを申すとわが主人が」
はっ、とした顔を、近藤はした。京都守護職である会津中将松平容保が?
「芹沢先生の御行状一切、われらよりもよく存じておられる」
「ふむ。……」
「両先生」
外島機兵衛は、微妙な表情でいった。
「多くは申しませぬ。この一事、十分にお含みくだされますように」
「わかりました」
近藤はいった。
帰路、近藤は歳三に、
「あのように物判りのいい返事はしたが、外島どのが申されたこと、あれはどういう意味《こころ》だろう」
「芹沢鴨を斬れ、ということだ」
「しかし、歳。かりにも芹沢は、新選組局長であるし、さもなくとも天下に響いた攘夷鼓吹の烈士ということになっている。やみやみと斬ってよいものか」
「罪あるは斬る。怯懦《きようだ》なるは斬る。隊法を紊《みだ》す者は斬る。隊の名を涜《けが》す者は斬る。これ以外に、新選組を富岳《ふがく》(富士山)の重きにおく法はない」
「歳、きくが」
近藤は、冗談めかしく首をすくめた。
「おれがもしその四つに触れたとしたら、やはり斬るかね」
「斬る」
「斬るか、歳」
「しかしそのときは私の、土方歳三の生涯もおわる。あんたの死体のそばで腹を切って死ぬ。総司も死ぬだろう。天然理心流も新選組も、そのときが最後になる。——近藤さん」
「なにかね」
「あんたは、総帥だ。生身の人間だとおもってもらってはこまる。奢《おご》らず、乱れず、天下の武士の鑑《かがみ》であってもらいたい」
「わかっている」
そんなことがあった。
その後、歳三は、赤沢を通して、局長芹沢の非行をさまざま耳に入れた。
押し借りはする、無礼討ちはする、もっともひどい例は、これは赤沢からの情報ではなく、それどころか京都中の騒動になった事件だが、芹沢はその一派を引き具して一条|葭屋町《よしやまち》の大和屋庄兵衛方に強請《ゆすり》にゆき、ことわられたとあって、
——されば焼きうちじゃ。
と、隊の大砲を一条通に据え、鉄玉を焼いてどんどん土蔵に撃ちこみ、ついに土蔵ぜんぶをこわして引きあげた。
近藤はその日、終日障子をしめきって隊士の前に顔をみせず、習字ばかりをしていた。よほど腹にすえかねていたのだろう。
——監察山崎|烝《すすむ》が帰ってきた。
赤沢守人の一件である。
「ほぼわかりました」
と、この律義な若者はいった。山崎は大坂|高麗橋《こうらいばし》の有名な鍼医《はりい》の子で、剣もできるし、棒もできる。が、なによりも町育ちらしく機転がきくので、監察には手ごろの男といっていい。
「前夜、島原の角屋《すみや》で遊んでいたことはたしかです。長州の者数人と一緒でした」
「ふむ?」
歳三は失望した。
「たしかに長州者と一緒だったか」
「まちがいありません。長州藩士|久坂玄瑞《くさかげんずい》ほか四人」
「大物だな」
「泥酔して、島原を出たのは辰《たつ》ノ刻。ここまでははっきりしています。おそらくその後、千本松原に連れ出された上、斬《や》られたのでしょう」
「待った。久坂らと一緒に出たのか」
「ええ」
「たしかか」
「なんなら、たしかめて参りましょう」
「いや、いい」
歳三は夕暮れから支度をした。絽《ろ》の羽織、仙台平《せんだいひら》の袴、それに和泉守兼定の大刀、堀川国広の脇差。
島原の角屋に行ってみた。一度、近藤と一緒に登楼《あが》ったときに、桂木大夫《かつらぎだゆう》という大夫《こつたい》と遊んだ。女は、歳三がよほど好きになったらしく、その後も、仲居に古歌などを持たせてしきりと足のむくようにすすめている。
この夜、この桂木大夫と遊んだ。歳三は、さして酒がのめない。
むっつりと押しだまっている。
大夫も少々もてあましたらしく、
「|すご《ヽヽ》ろく《ヽヽ》でも、おしやすか」
と、大名道具のような金蒔絵《きんまきえ》の盤をもちだしてきたが、歳三は見むきもしなかった。
「おなかでも、お痛おすか」
「たのみがある」
「どんな?」
「野暮な用さ」
と、訊《き》きたい一件を手短かにいった。
「それ、難題どす」
大夫は、一笑に付した。ここは仙境で、浮世の用はいっさい語らず持ちこまず、という不文律がある。
「むりか」
「なりまへん」
そのくせ大夫はそっと立って、懇意の仲居に耳打ちしてくれた。
わかった。
その夜、赤沢は、久坂ら長州藩士と一緒に出たが、久坂らは駕籠であった。赤沢守人は徒歩である。とすれば、島原の大門《おおもん》を出たときは、もう別れた、とみていい。歳三は、そうみたい。
ところが、意外なことが判明した。芹沢とその腹心の新見錦も当夜、角屋であそんでいて、ほとんどその直後に出たという。
小雨がふりはじめていた。芹沢、新見は傘と提灯を借り、このとき新見が、
「赤沢君は、提灯をもって出たか」
「へい」
と、下男がうなずいた。
「角屋の提灯だろうな」
「左様《さい》で」
そういう会話を、下男とかわしたという。
(なるほど)
歳三は、考えた。千本松原の赤沢守人の死体のそばには、角屋の定紋入りの提灯がころがっていた。
それから数日たった夜。

 歳三は、その夕、祇園の貸座敷「山の尾」という料亭へ不意にあがった。
「御用である」
と、亭主、仲居を鎮まらせた。
「新選組局長新見錦先生がご遊興中であるはずだが、座敷はどこか」
「ヘっ」
亭主は腰がぬけてしまっていたという。
「|は《ヽ》、|はな《ヽヽ》れ《ヽ》でござりまする」
歳三はすばやく手配りをして、同行の沖田総司、斎藤一、原田左之助、永倉新八を、離れ座敷の南に面した中庭に伏せさせた。
「亭主、騒ぐ者、声を立てる者は、斬る」
歳三は、大刀を亭主にあずけ、ひとり悠々と廊下を渡った。手には、別に大刀をもっている。
赤沢守人の遺品である。
障子に、影が二つ。
爪弾きの音《ね》がきこえる。影の一人は、芸妓である。
いま一つの影は、その大たぶさの|まげ《ヽヽ》でわかる。新見錦。芹沢の水戸以来の子分で、剣は芹沢と同流同門の神道無念流。腕は免許皆伝である。
新見の腕については、歳三は、屯所の道場で、一度、立ちあったことがあった。竹刀では互角とみていい。
「たれだ」
新見は、芸妓をつきはなして膝をたてた。
「私ですよ」
と、歳三は、大刀のコジリで、さっと障子をあけた。

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