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ももさくら
通りすがりにあんまり長いこと桃の木を見上げていたのでとうとう枝を剪《き》って新聞紙に包んでもらうハメになった。
剪ればはらはら花が散る。首ごと落ちたり花びら散らせて萼《がく》を残したり、どうも桃は私に似てだらしない。嬰児《えいじ》のように抱いて戻ったのだが案の定新聞紙の中は落花の山。桃は下枝まで花をつけるので活《い》けるのにまたひと苦労する。すっぱり花をむしるのは忍びがたいし、ええいままよと広口の壼に自然のまま沈めてやる。のぞくと水にまた花々。何とももろいふしだらな娘よ。だから私の愛娘《まなむすめ》。

抱《いだ》かれて桃の季が過ぎ汽車が過ぎ
桃の雨人の背中は押しやすし

 桃の花には中国が匂う。「君がみ胸に抱かれて聴くは夢の舟唄恋のうた」──いくら力んでみても柳桃柳桃とつづく濁った大河の岸には悠然の気が満つるばかり。しかしながら私の胸を過ぎていく時間の汽車には兵の顔が鈴生《な》りであった。不当にしいたげられた中国の人々の眼がそれに重なる。しかも今は更に孤児の全身の訴えが耳を圧する。うかうかと書いた句が年を経てズンと重たくなることもあるのだ。
桃に降る雨はまだ冷たい。冷たいけれどどこかが春で、もやもやと木の芽どきの焦《いら》だちが我にもなく思わぬ罪を犯させたりもする。自分で死ねばよいものを、ついうかと人の背中を突いてしまう。突かれた人がつんのめって泥に手をつくぐらいならまだいいが、ここでも私はやわらかい川岸の土と雨で水嵩《みずかさ》の上がった川を描いている。恨みの手が二、三度もがいて、ぷっつりと無音。
桃の花が好きな私が桃に抱く暗いイメージとは逆に、桜はさらさらと粘りを残さない。凛たる白の朝桜を好む年もあれば夕桜と空の色の分かちがたさに惹かれたり、絵のごとき夜桜に濃い夢を見たり、それぞれの桜と関わってきたけれど、散る花こそは捨てがたい。花は桜木人は武士、突風に惜しげもなく散る花の土手には必ず馬に乗った人が現われるのだ。女は、たとえそれが好きでもない人であっても求愛された誇りを生涯忘れないものである。その馬に横抱きされて逃げていたとしたら私は今ごろ獣医の妻。花の散る季のほろ苦さは照れくささも伴って、いつのまにやら馬上の人を置きかえてみたりする。時には狐を馬に乗せたりもして、とかく春は間違いだらけである。

淋しさの桜は白しただ白し
花おぼろ人もおぼろに入れ替わる
馬から下りて男は約束を果たす
はずかしく風の桜に埋まるかな
ここに来て噂まみれの落花よし

 桃も桜も匂わない花と最近気づいた。特に桃は、その実の芳香からくる長い錯覚であったらしい。

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