「母の家出」

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所属分类:日语随笔集

 私の母はすぐ泣く。すぐ落ちこむ。その上すぐ家出する。家出の場所は決まっている。伯母の家だ。ケーキ片手に伯母の家に行き、伯母の家の近くにある普段から足しげく通う洋服屋で前々から目をつけていた服を買い、伯母にリクエストした料理を食べ、1日かそこらで帰ってくる。家出の理由は嫁姑問題であったり、父の浮気疑惑であったり、とにかく家に居たくない何かがあるときだ。その何かは突然やってくる。母はゴミ袋に当座の衣類を詰め、ゴミ出しに行くふりをしてそのまま家出したりする。ゴミ袋の中にはきちんとコーディネートされた服が入っている。私と兄は思春期を迎えるころまで必ず母のお供だった。ゴミ袋を持ったまま小学校まで迎えに来たこともある。それでもやはり家出中、伯母の家で撮られた写真にはかわいいお揃いの服を着た兄妹が写っている。母の性分なのだ。幼い私は、母に連れられていく度に今度こそ家に戻らないのではないかとはらはらした。でも母は私たちの手を引き自分の足できちんと帰る。祖母は亡くなり、兄と私は成人し家を出たが、母は今もちゃんと家にいる。 母は専業主婦だ。働いた経験はほとんどない。運転免許も持っていないから、身分を提示できるものはフラダンス教室の会員証だけだ。よくしゃべるが、政治経済の話をしているのは聞いたことがなく、美味しいものとお洒落に目がない。当然肉付きもよい。俗に言うおばちゃんだ。私が社会人になり転職を考えたとき、母は安定した仕事を辞めることに強く反対した。母はそこでいい人を見つけ、早いうちに結婚してほしいと思っていたと思う。社会に出て数年が経ち、世間がわかった気になって、自信をつけていた私は母に対して、一人で生きていけないくせに嫌なことがあったらすぐ逃げ出す母のような弱い人間になりたくないから経験を積みたいのだという意味合いのことを言った。それから母は何も口出ししなくなり、私は仕事を変えた。

 去年私は大病をした。今まで健康であることが当たり前だった私には正に青天の霹靂だった。検診でひっかかった私は医師である伯父に相談し、さらに詳しい検査を受けた。もし結果が悪くてもまだ両親には言わないでほしいと頼んだ。母が泣きじゃくるのが目に見えていたからだ。検査の結果は最悪で、事の重大さを考えた伯父は私との約束を破り両親に話した。その日の私の携帯は母からの着信で一杯だった。仕事を終えた私が電話をかけ直すとやはり母は泣いていた。泣きながら「一緒に頑張ろう」と言った。それから母は私の看病に徹した。病気に効くと聞けば何でも実践してみせ、入院中は一日も休むことなく私の好物を持って毎日病院へやって来た。私が照れ隠しで母のことを「婆や」と呼ぶと、母は「はいはい」と答えた。検査の後、手術の後、やはり母はよく泣いた。一時退院をして私が一人で住むマンションに戻った際には、私に内緒でやはり一日だけ家出もしていた。けれどいつものように何もなかった顔をしてすぐに戻ってきていた。それから「あなたは私の命」と言った。治療は来月ようやく終わる。

 正直、私は母に肝心なところでは頼れないと思っていた。母は目の前にある問題を見ようとせず、泣いては逃げてばかりいるように見えたからだ。しかしこれまで母が戻ってこなかったことがあるだろうか。母の涙はこれからの戦いへの宣戦布告だとしたら。

 やっとわかったことだけれど、母の家出は逃げているのではない。逃げ出せないから、次のラウンドのゴングに向けて、腹ごしらえをし、身支度を済ませ、息を整え、闘う準備をして帰ってきているのだ。逃げ出せないから、どんなに嫌なことがあっても、全て受入れ、自分の足で必ず戻ってくるのだ。きっと家出の度に母の度量はお腹の脂肪と一緒にどんどん大きくなっている。私はそんな母に手を引かれ、ずっと守られてきた。

 私の病気がわかったとき、伯父に両親に言わないでほしいと頼んだ理由はもう1つある。これからの長くなるであろう戦いに備えて、何にも知らない、一点の曇りもない、いつもの母の声をもう一度聞いておきたいと思ったからだ。私に起こったことを知った母が、自分の命に代えても私のことを守ろうとすることを知っていたから、この世界に自分以上に私のことを愛してくれる存在がいることを知っていたから、私のために涙を流すことを知っていたから、だからその前にいつもの母の声が聞きたかった。私は無償の愛というものを知っている。それはきっととても幸せなことだ。

 私の母は携帯をうまく操作出来ず、更年期障害に悩み、週に一度公民館で開かれるフラダンス教室に通う。もちろんムームーにもこだわる。冷蔵庫の中はいつも荒れ放題だけれど、筑前煮と鯵の南蛮漬けは絶品で、家族と二匹の猫を心から愛す。そして時々、家出する。私は今、母のような女性になりたいと思う。

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