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「父から子どもへのメッセージ」

 17年前、夫は43歳で他界した。長女中学3年生。長男小学6年生の秋だった。私は公立の幼稚園に勤務していたお蔭で二人の子どもを育て、夫の両親に助けてもらいながら仕事と家庭を両立させることができた。 夫は亡くなる2年前に胃癌を発症し3分の2の摘出手術をしたものの余命3か月と宣告された。主治医の先生は私に余命を告げた後「ご主人が余生を充実して生きられるよう全力投球します」と言ってくださった。残された命を十分に生かすには「告知」が必要であった。三日三晩寝ずに悩み、まだ小さな子どものためにも父親としての証を残してほしかった。

 看護士さんたちがチームをつくり、私たち家族のために夫が子どもたちに残したいメッセージを作るために協力することが決まった。しかし夫がそのような行動を起こすためにはやはり「告知」しかなかった。私は、病気のこと、そして進行していること、手術したけどもう後は残された命が短いことなどを少しずつ少しずつ話していった。夫はあまりのショックに食事も喉を通らなくなり、うつ状態になった。夫の姉たちが「告知」を後悔した。しかし、看護師さんの毎日の言葉かけの中に少しずつ温かい心を感じた夫は残された命を使って子どもたちへのメッセージを作ることを決心した。

 私は病室にワープロを持ち込み、夫の言葉を手紙として文章に残していった。夫は生きていることに喜びを感じ始め、顔色がぐっと良くなり生き生きとしてきた。まず、長女の「高校入学のメッセージ」次に長男の「中学入学のメッセージ」それぞれの成人式のメッセージ、そして最終は娘と息子の結婚式の父親のメッセージに終わった。まだ見ぬ新郎への言葉は切なくしかも力強く娘を幸せにしてほしい願いがつづられていた。長男の成人式のメッセージには、自分の好きなことをとことんやり、故郷にとどまることを考えず、どこまでも進んで行ってほしいと結んでいた。それぞれの子どもの人生の節目に夫は自分の限りある命の中に残された力を使って、絞り出すように言葉を選び、伝えていった。時には迫りくる病魔に言葉を奪われそうになる時もあった。途中夫は言った。「お前は幸せやな」「どうして?」「だって子どもの大きくなる姿をずっと見ることができるから」「・・・・・・」

言葉に詰まって「うん」と言うのが精いっぱいだった。「お父さんの分まで見るから任しといて」と言うと「お任せします」「はい」。夕日のきれいな日だった。

 とうとう最後のメッセージを書き終えたのは夫が旅立つ2週間前となっていた。そして夫は私に言った。「15年と言う短い結婚生活だったけどお前と出会え、幸せだった。かわいい子どもを産んでくれてありがとう。お世話になりました。二人の子どもたちと両親を頼んだよ。そして二人で作ったこのメッセージを子どもたちに伝えてください」平成9年11月1日午前6時45分。夫は帰らぬ人となった。病室から見える隣りの高校のアメリカフウが真っ赤に染まった葉を落とし始めていた。

 そして、平成22年5月8日大好きな悠太さんのお嫁さんになった娘は夫の娘へのメッセージを結婚披露宴でじっと聞いていた。平成18年春、息子は念願の大学に入学が決まり、東京駒場の街に一人で暮らすことになった。平成24年11月10日長男はかわいいお嫁さん紗良さんと一緒に最後の父親のメッセージを読んだ。そして平成10年夫の父を送り、平成25年10月90歳の母は「ありがとう」の言葉を残しこの家を旅立った。

 平成25年12月私は夫との約束をすべて果たし、新しい年を迎えようとしている。

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