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 「みそかまでは返しますので、五百円貸していただけませんか」 我が家に来てそう言ったのは、小学五年生の少女だった。背中には二歳か三歳の弟が眠っていて、手には豆腐でも買いに行くのだろうか、アルマイトのボールを持っていた。

 少女の父親がいつも酒びたりで大きな声を出し、母親は数ヶ月前に家を出て行ってしまったことは、町内で知らない者はいなかった。

 東京オリンピックの翌年だから、五十年近く前のことである。私はまだ小学三年だったが、そうやって他人の家を無心に訪ねることがどんなに恥ずかしい思いをしなければならないだろうか、と思った記憶が明確にある。

 母は、財布から五百円札を取り出し、

「ちゃんと、みそかには返しに来るんだよ」と言い、しっかりと少女の手に握らせた。

色々聞きたいことがあったが、その日の母はとても厳しい顔をしていて、質問どころではなかった。みそかの意味が月末であることは、国語辞典で調べて知った。

 その月の晦日に、少女は五百円を返しに来た。今度は弟を背負ってはいず、ボールも手にしていなかった。母は、「ちゃんと約束守って、えらいね」と言ってお金を受け取った。

 

 …そんな昔話をしたのは、母が末期の胃ガンで入院していた、札幌市郊外の集中治療室の中だった。

「母さんはどうして『返しにくるんだよ』って言ったの?あれだけ困ってるんだから、あげても良かったんじゃないの?」

「やっぱりお前は、いい歳して何にも判ってないな。あれは、お前のために言ったんだ」

 えっ、俺のため? どうして?

「金を借りに来たことをお前は友達に言っただろ。それで、返しに来なかったらまたそれを言うに決まってる」

 確かに友人に話した。もちろん返しに来たことも。昔から、母は何でもお見通しだった。

「あの子にしても、返す当てがないのに返す約束をしたら、守れない約束をする癖がつくだろ。人として一番してはいけないのは、守れない約束を無理にさせてしまうことだ。憶えとけ!」

 医者からは数日もつかどうかと言われているのに、この日の母は、若い頃のままの明確な記憶力で、明快な論理展開をした。さらに、か細い声ながら、痛烈な叱咤は続いた。

「だいたい、晦日なんて大人の言葉を使ったり、弟を背負ったり、ボールを持って来たり、あんな子供が演技することを憶えちゃいけない。だから、お前のためにならないし、あの子のためにもならないから、ああ言った。まったくお前は、ダメダメだ」

 母は、我が家に返すための五百円を、いや恐らくそれ以上の金額を予めあの子の家に届けていた。それだけではなく、今で言う民生委員にかけあって、あの子と弟の生活を安定させてちゃんと学校へ通うようにさせたことも初めて知った。母のそんな姿勢は、八十歳を過ぎても変わっていなかった。町内のお祭りを仕切り、刑務所への慰問を続け、不良と呼ばれる子供達にも本気でぶつかっていた。

 …これが母に叱られた最後となった。気力を振り絞って息子へ小言を遺してくれたのだ。

 一週間後、中学の卒業式を終えた娘が東京から駆けつけた夜、母は静かに息を引き取った。医者も驚くほどの、執念とも言える生命力だった。母は孫と約束していた。「卒業したらおいでよ。必ず待っているから」と。

 初めて人の死に立ち会った娘が、突然、

「私、医者になる!」と宣言した。

「おばあちゃんは、守れない約束はしてはいけない、って言ったよ」

「ダメだなぁ、パパは。おばあちゃんの孫だから、できない約束はする訳ないじゃない」

 …娘からも叱られた日から五年後、娘は二浪の末、医学部に合格した。

 我が家に、守れない約束は存在しなかった。

 

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