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「約束だぞ」力強くそう言って握手をした。

少々の酒が入っていたとはいえ、それはかたい約束であった。お互いの握手の力にその強い意志がこもっていた。

二日目に後悔がきた。

とにかく落ち着きがまったくなくなった。

頭がぼんやりとして、気分がいらいらした。口の中がからからになって、唾がなくなった。水を飲んでも喉の渇きはおさまらなかった。

「約束なんてするんじゃなかったな」

呟きが出た。

「約束なんてするんじゃなかったな、禁煙なんて」

煙草は日に四十本は平気で吸っていたから、偏頭痛は常であったし、歯磨きのたびにいやな吐き気を覚えていた。

だからいつかは禁煙に踏み切らなければならないだろうと思ってはいたが、それがこんなにやすやすと約束の事態に急展開するとは思っていなかった。禁煙宣言はもっと荘重で厳粛なものである筈だった。

約束の相手は会社の部下であった。同じ部で不思議なことに誕生日が同じ日であった。八才年下のその部下は、体重が九十キロにもおよぶ巨漢で、まさしくメタボリック・シンドロームの危険を絵に描いたような男であった。愛嬌があり、憎めないよい性格の持ち主であった。太い指には常に煙草の煙があった。「その煙草減らしたほうがいいんじゃないの」

そう言うと、待ち受けていたようにその男は答えた。

「そう思いますか。誕生日も一緒ですし、いっそのことヨーイドンで一緒に止めませんか。止めたい気持ちは山々なんです」

眼がきらきらと輝きだしていた。

「よし、一緒に止めよう」

その眼の輝きに誘われるようにわたしは言葉を発していた。魔術にかかったようであった。言葉はまさしく発作に似た。

それから二人は杯を重ねながら、禁煙がいかに健康によいことか、日々の煙草代でどれだけ多くの小遣いが貯まるかなどと口角泡を飛ばす勢いで語り合った。

約束のかたい握手はその仕上げであった。

それが二日目にしてなんというていたらく。風呂にざぶんと入った。熱い湯を頭から浴びた。風呂の湯気が煙草の煙に見えた。

「ううーん」

唸るわたしを嫁さんが横目で見て、

「約束したんでしょ」

と軽蔑の眼を向けた。

「ううーん」

一ヵ月経った。穴倉にこもるような一ヵ月であったが、不思議に煙草を吸いたいという気持が少しづつ薄れてきたようであった。

二ヵ月経った。ニコチンが体から徐々に離れていくのが判った。そして一年。二年。

気道にべったりとへばりついていた茶色のタールが剥がされて、繊毛の草原に爽やかな風が吹くようになっていた。

趣味で習っていた謡曲の声にも響きが出てきた。これには師匠も驚いた。

それから二十年。

元の会社のOB会で約束の相手に久しぶりに会った。男の顔は艶々としていた。

「よく続きましたねえ、お互いに」

男は感慨深げに言った。なにやら眼が潤んでいるように見えた。男は言った。

「実はね、約束した二日後に電話をとりかかったんです。約束は破棄してもらえませんかってね。そいつを妻が横で見ていて止めたんです。約束でしょってね」

男は頭をかいた。

「いい約束したなぁ」

二人はにっこりと笑ってお互いを見詰め合った。

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