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「ここまで来たんやけどなぁ。もうちょっとやねんけどなぁ」父がそうつぶやいたのが、夢で見たようなおぼろげな記憶として頭に残っている。僕の心配をしてはいるものの、それよりも頂上をあきらめきれないことの方が残念だというような感じだった。しかし僕は八合目で発症した軽い高山病のせいで息も絶え絶えだったので、それが夢だったのか現実だったのかは今となってはわからない。それ以上登ることをあきらめ下山している途中、しんどいながらも幼い僕は父に気を遣って、「またいつか挑戦したいなぁ」と言った。すると父は「よし、お前がそう言うならいつかまた登るで。約束や!」と言って、早足の自分のペースを崩さずに下っていき、僕は取り残されないように必死に父の後を追った。 子供の頃を振り返って父との家族らしい思い出といえば、この富士登山と、たまにやったキャッチボールくらいのものだ。父は平日はほとんど毎日飲んで帰ってきたし、休みの日になれば競馬や競艇に忙しかった。ギャンブルが終わったあとは夕方に帰ってきてビールを飲み始める。機嫌がよければビールの前にキャッチボールをすることもある。普通、キャッチボールをするとなれば子供がメインとなるはずだが、うちでは小学生の僕がキャッチャーをし、父がピッチャーだった。そんな人だった。

 

 大学を卒業後、働き始めた年の正月だった。母が作るお雑煮を食べているときに父が急に書初めをやりたいと言い出した。母は文句も言わず、埃のかぶった書道セットを引っ張り出してきた。父が無言で書いたのが「富士登頂」の四文字だった。

「お前覚えとるか」

「おう。まあ覚えとるけど」

「夏、行くか」父の顔はいつになく真剣だった。

「急になに言うねん。仕事もあるし、わからんわ」と僕が言い終える前に父は「俺は行くぞ。お前も、来い」と言った。

 果たしてその年の夏、僕たちは富士山頂を目指した。五合目のバス降り場で見上げる富士山は大きい。気合いを入れて歩き始めた。あの時と同じ、父が前で僕が後ろ。でも何かが違った。後ろから見る背中が小さくなっていた。父は前年に還暦を迎えていたが、健康に無頓着で、日頃運動をしているわけでもない。あっけなく八合目の手前で力つきた。

「またあかんかったなあ……。よし、鍛え直して来年また挑戦や! 約束やぞ!」

 しかし父はその年の冬に足を煩い、長時間の登山に到底耐えられない体となった。それが八年前の話。

 

 昨年のお盆に実家へ帰ったとき、「もう富士山登られへんなぁ」と寂しそうに父がつぶやいた。それを聞いた僕は咄嗟に言った。

「あの約束、俺とボウズに託してくれへんか。こいつと、いつか行ってくるわ」二歳の息子が富士山に挑戦できるようになるのは何年後だろう、と思いながら。

「約束を次世代に持ち越すんか。それもええやないか、なあ」と父は相好を崩した。

 一時間後、酔いがだいぶ回ってきた父がビールを飲みながら、「ほんまにもうちょっとやったんや。わしはまだ千メートルでも二千メートルでも登れるくらいピンピンしとったんやで。あのときお前を置いて登ってればなぁ」といたずらっぽく笑ったのを見て、ああ、やっぱりあの記憶は現実だったのだなと思った。なんて薄情な親父だとあきれながらも、目の前にいる父が相変わらず昔の父そのままであることが嬉しくて、僕は父のコップにビールを注いだ。

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