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「 痛みと生きていく」

 「今頃は体育かな…」 病室の窓越しに晴れた空を見上げる。私には高校時代、青春を謳歌(おうか)した記憶がない。

 「これから楽しいことがたくさんある」

 期待でいっぱいだった入学式からたった一カ月。私は病院のベッドの上にいた。椎間板ヘルニアから来る腰の痛みと、手術後に起きたフェイルド・バック症候群、脳脊髄液減少症によるひどい頭痛とめまいで、私は授業中座っていることすらままならなくなっていた。

 勉強、部活、遊び。楽しいことにあふれていたはずの高校時代は、腰痛と頭痛、ストレスから来るぜんそくでつらいものとなっていった。私は、登校前にペインクリニックに通うことが日課となり、仙骨ブロック注射、局所麻酔、痛み止めの点滴、はり治療、さらには心のケアも必要と言われ心療内科への受診に至るまでできることは何でも試した。通院後、ガラガラに空いたバスに揺られ、やっとの思いで学校にたどり着くと、まぶしいほど皆が輝いて見えた。先生や友人には恵まれていたものの、できないことの多さに、自分に自信が持てなくなり、単位に追われ、精神的にも追い詰められていった。

 休学、留年、退学。最後はこの選択肢しかなく、私の最終学歴はこの段階で、「高校中退」になってしまった。

 「中卒かぁ…」

 高校を中退してから受けてきた面接で、担当者は決まってそこに食い付いた。高校をやめてから、自分の力で高卒認定は取った。しかし、大学に行くには自信の持てない体であったため、短時間の仕事を探していた。

 私にはできることが限られていた。重い物は持てず、立ち仕事もできない。学校を卒業することすらかなわなかった体である。その上、学歴は中卒だ。渋られるのも当然であった。

 就職先の見つからない私には、名乗れる所属がなかった。大学生活を送っている友人たちには「○○大学」、就職した友人たちには「○○会社」と彼女らには自分の名前の上に付ける所属があった。しかし私には名前の上に付ける所属がない。久しぶりに会う友人に

 「今何してるの?」

 と聞かれることが、何より怖くなった。私は古い友人と関わることを避けるようになり、一人の世界に閉じこもった。私には「無職」という肩書と、やっかいな痛みしかない。いつしか劣等感の塊になっていた。輝いている同級生たちに会う勇気が持てず、成人式には出られなかった。

 転機は二十一歳の夏に訪れる。母が、ある会社のパンフレットを持って仕事から帰ってきた。それを見ると、そこはパソコンを中心とした職業訓練をしている会社のようだった。しかも短時間である。私はすぐに面接を受けに行った。

 面接でまず、私は予防線を張った。

 「中卒です。腰痛のために立ち仕事もできません。それでも受け入れてもらえますか」

 所長は即答した。

 「全然良いですよ! やる気さえあれば」

 コンプレックスである学歴と健康状態を打ち明けた私に、所長は笑顔で答えてくれた。うれしかった。ここしかないと思った。

 その会社ではとにかくやる気を買ってもらえた。必要とされたパソコンの資格をとり、私はずっと失っていた自信を取り戻していった。この頃には、ストレスからひどくなっていたぜんそくがうそのように無くなっていた。尊敬する人のもとでやりがいを感じる仕事ができる。そんな自分がそこにはいた。

 「不幸な顔をするのはもうやめよう」

 と、そう思えた。頑張って働き続け、二十三歳になったとき、私には次の目標ができた。

 「大学で福祉の勉強がしたい」

 それは私のように社会で普通に生きていくことが困難な人の力になりたいと思ったのと、私を救い上げてくれた会社のような場所で自分も働きたいと思ったのがきっかけだった。

 目標ができたものの、私の体では普通の大学生活を送ることはできない。母に相談すると、通信の大学はどうかなと勧めてくれた。

 大学の説明会に行くと、社会人になってもなお学ぼうという意欲にあふれた人がたくさんいた。

 「生き方は一つじゃない。ここで頑張ってみよう」

 私は前向きだった。

 今年でその大学に入学して三年目になる。若い頃思い描いていた大学生活とは違うけれど、今は自分のペースを見つけ、勉強も軌道に乗っている。大学を卒業して、自分を救い上げてくれた会社のような温かい場所で、学校生活でつまずいている子や、社会に居場所がないという誰かの役に立てる人間になりたいと思う。

 生きている限りいつ何が起こるかわからない。しかし、どんなに先の見えない人生にも先がある。今、私の心は快晴である。

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