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  盛岡の街に、大正時代から続く素敵(すてき)な写真館がある。市の中心部にありながら、静寂な空気をまとい、「寫眞舘」の文字を掲げるその洋館には、「日影門」という、その界隈(かいわい)の地名がよく似合う。 私は、子どもたちの成長の節目に、この写真館で家族写真を撮るのを楽しみにしている。撮影を手伝う奥さんの、上品な言葉づかいや温かい気配りがとても心地よく、それは「撮影」というより、歴史のある落ち着いた空間で家族そろって味わう、幸せな時間である。

 季節ごとに変わる表のショーケースの中に、私たち家族の写真が登場することもあり、そんな時は、ちょっぴり誇らしい気持ちになって、しばらくその場に佇(たたず)んだりする。

 今年で創業百年になるというこの写真館には、星の数ほどの人々の思い出が記憶されてきたことだろう。私にも、忘れられない出来事がある。

 もう十年以上も前のことになるだろうか。写真館の前を通りかかった私は、不意に足を止めた。何気なく見た写真の中に、なぜか私の母のポートレートがあったのである。同窓会の日に着ていた、見覚えのある花柄のワンピースに紺色のジャケットを羽織り、おだやかに微笑(ほほえ)む母。(いったいどういうこと?)その写真は、私をかなり混乱させた。

 急いで帰宅して、当の本人に尋ねると、

 「私にも一枚くらいちゃんとした写真がないと、お葬式の時に困るだろうから、ちょっと早めに準備しておいただけよ」

 と、笑いながらさらりと言った。

 「びっくりさせないでよ。縁起でもない!」

 母の突飛な行動に私は憤慨したけれど、写真の話は、なんとなくそれきりになっていた。

 皮肉なことに、母はそれから数年後、本当にあっけなく亡き父のもとへ逝ってしまった。「病院」と名のつくところには、ほとんど縁がないと自慢していた母が、急激に体調を崩して近所のクリニックへ行った時には、すでに胃がんの末期だったのである。

 祭壇には、母の「遺言」どおり、あのポートレートが飾られることになった。たくさんの花に囲まれた母の遺影は完璧すぎて、まるでいつかテレビで見た有名人のようだったから、弔問客の誰もが、祭壇の「見事な」遺影のことを話題にした。私は何度その写真のエピソードを披露したことだろう。

 母の友人たちは、

 「恵美ちゃんらしい、いい写真だよね」

 と涙ぐみ、母と親交があった私の恩師は、

 「あなたのママは立派! 私も見習いたい」と絶賛してくださった。

 亡くなる間際の母は、がんのために見る影もなくやつれてしまい、最後の化粧を施された顔にも、もはや私たち家族でさえ、かつての面影を追うことが難しくなっていたけれど、母があの写真を残しておいてくれたおかげで、私たちの心の中には、ちょっと愛嬌(あいきょう)のある、にこやかな顔の母が、いつまでも生き続けることになったのである。

 約束を果たした母のポートレートは、少し小さくなって、我が家の仏壇に納まった。

 それから二年後、息子が成人の日を迎えた記念に、家族で写真館を訪れた日のことである。二階のスタジオへと続く階段を上りきった時、目の前の棚に並んでいる写真の中の一枚に、私たちの目が釘づけになった。

 それは、母のあのポートレートであった。思いがけない場所での、母との再会。

 写真の主が私の母であり、すでに亡くなっていたことを知った写真館の奥さんは、驚きながらも当時のことを話してくださった。

 「ご婦人お一人の写真というのはあまりなかったので、見本に置かせていただいたんです。お母様が『お葬式用のいい写真ができました』なんて明るくおっしゃるので、私は『そんなことおっしゃらないで、ぜひまたお越しください』と申し上げたんですよ」

 少ししんみりした後で、カメラに向かう私たち。その日は偶然にも、母に見守られながらの撮影となった。

 母はこの写真館で、二十代の若い頃に何度か写真を撮ったことがあると言っていた。もしかしたら、病の兆しに不安を感じて、思い出の写真館で「お気に入りの一枚」を残そうとしたのかもしれない。私は、もっと早くそのことに気づくべきだった。

 いつの頃からか、一人で外出する自信がなくなったと言って、どこへ行くにも私と一緒だった母が、たった一人で写真館を訪れた日の心の内を想(おも)うと、切なさと後悔とで私の胸はいっぱいになる。

 来春、娘が大学を卒業する記念に、私はまた家族写真を撮ることになるだろう。そしてこれからは、家族の写真に少しずつ新しい顔が加わっていくのかもしれない。

 母から私、そして子どもたちへと、「たいせつな場所」は受け継がれていく。

 

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