第二十一章:世界遺産~麗江古城

第二十一章:世界遺産~麗江古城

麗江古城は、中国西南部雲南省麗江ナーシ族自治県に位置し、宋代末から元代初期(紀元13世紀後期)に建設されたものです。麗江古城は、海抜2400余mの雲南•貴州高原にあり、面積は3.8平方キロ、昔からよく知られる市場と重鎮です。現在、6200世帯があり、人口が25000人、その中少数民族ナーシ族の人口が最多。住民の30%は今も銅や銀を用いて工芸品を作るほか、毛皮、皮革、紡績および醸造業を主とする手工業と商業に従事します。   麗江古城の道路が山に沿い川の両岸にあり、彩色の石で敷き詰められていることから、雨季は泥んこにならず、乾季は埃が立ちません。図案は自然で古朴で、町の雰囲気とよくマッチしています。古城の中心にある四方街は町のシンボルです。   麗江古城内にある玉河には354を数える石橋が架けられてあり、一平方キロ当たり93の橋があると言う計算になり、その中、鎖翠橋、大石橋、万千橋、南口橋、馬鞍橋、仁寿橋などが最も有名で、明と清の時代に立てられたものです。   麗江古城内にある玉河には354を数える石橋が架けられてあり、一平方キロ当たり93の橋があると言う計算になり、その中、鎖翠橋、大石橋、万千橋、南口橋、馬鞍橋、仁寿橋などが最も有名で、明と清の時代に立てられたものです。   麗江古城内にある木府は、昔土司木氏の役所で、元代(1271年―1368年)の時代の建物で、1998年再建された後、博物院に改名された。木府の敷地面積は約3ヘクタール、中には、大小の部屋が162あり、歴代の皇帝から授けられた11の扁額が掲げられ、木氏家族の盛衰の歴史を反映しています。   城内にある福国寺の「五鳳楼」は、明代万暦29年(1601年)に立てられたもので、高さ20mです。建築物の形が飛んできた五匹の鳳凰とよく似ているため、「五鳳楼」と呼ばれました。楼内の天井には、様々な図案が描かれ、漢民族、チベット族、ナーシ族などの建築芸術風格を受け継ぎ、中国古代建築の中でまれに見るもので、典型的なモデルとされています。   白沙民家建築群は、麗江古城以北8キロのところにあり、宋代における麗江地区の政治、経済、文化の中心地でした。建築群は南北線上にあり、中心には梯子型の広場があり、4本の道は整然として東西南北という四つの方向に延びています。白沙民家建築群の構築と発展は、その後の麗江古城の科学的配置に基盤を築いたと見られています。   束河民家建築群は、麗江古城西北部4キロのところにあり、周辺の小さい町の一つとされ、建築群の配置は入り混じっていて趣があり、「四方街」と似ています。「青竜」川は建築群の中心を貫き、川に架けられた青竜橋は明代(1368年―1644年)に作られたもので、麗江古城内の最大のアーチ型の石橋です。   麗江古城は長い歴史を持ち、自然で古朴であり、漢民族、ペー族、イ族、チベット族などの民族の精華を受け継ぎ、ナーシ族の独特な風格を持ち、中国の建築史と文化史の研究にとって重要な遺産です。麗江古城は、豊富な民族の伝統的文化を持ち、ナーシ族の繁栄と発展を具現し、人類文化の発展を研究する上で重要な歴史資料でもあります。   麗江古城は高い総合的な価値を持つ歴史的文化都市で、地方の歴史的文化と民族の生活、風俗習慣、人情などを集中的に反映し、当時の社会進歩の特徴をも反映しています。麗江古城は重要な意義を持つ少数民族の伝統的居住区で、都市の建設史と民族の発展史の研究に貴重な資料を提供し、貴重な文化遺産です。   麗江古城は、1997年12月ユネスコによって、「世界の文化と自然遺産」に登録されました。世界遺産委員会は、「麗江古城は経済、戦略的要地を、険しい地勢と一体化させ、古朴の風情を完全に保存しています。古城の建築は各民族の文化特徴を融合させ、世界によく知られています。麗江古城はまた、古い供水システムを持っており、縦横に入り組んでいるこの供水システムは今でも、重要な役割を果たしている」と評価しています。

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