第二十一章:世界遺産~平遥古城

第二十一章:世界遺産~平遥古城

中国北部山西省に位置する平遥古城は1997年にユネスコから「世界の文化と自然遺産」に指定された。世界遺産委員会は、「平遥古城は、中国に現存する最も完璧な古城で、中国歴史の発展の中で、優れた文化、社会、経済及び宗教発展の姿を示している」と評価した。   平遥古城は、紀元前9世紀前後に建造され、明代の洪武三年(1370年)に拡張工事が行われ、ほぼ四角形の城壁に囲まれており、面積は2.25平方キロである。現在の平遥古城の主要建築物とその枠組みは600年余り前のもので、城壁や町、民家、店舗、お寺などがよく保存されており、数千年来の漢民族の伝統的な文化思想を体現し、明や清(1359年から1911年)の時代の建築物を集めた歴史博物館と言える。   平遥古城の城壁は、2800年前から建造されはじめたが、当時は粗末な土壁であったが、1370年にレンガで立て直され、現在に至っています。城壁の全長は6000m以上、高さは12mである。城門は東西が二つずつ、南北が一つずつ、全部で六つの門があり、どの城門も外に突き出て、内外二つの門があり、亀の形をしているため、「亀城」とも呼ばれた。南北の二つの門は、亀の頭と尻尾で、東西の四つの門は四本の足で、南北の内外の二つの門は直通し、亀が首を外に伸ばしているようであり、おまけに南門の外に井戸が二つあり、それが亀の目にたとえられている。北門の外門は東に曲がっているため、亀の尻尾を東の方のふっているように見える。中国の伝統的文化で亀は長寿の象徴である。このほか、六つの城門には、いずれも高くて大きな城楼があり、高さが7m近くもある四角の角楼で、ほぼ50m置きに城台が一つあり、城壁の上には見張り台が72ヵ所あり、城壁の上の外側に凸凹状の低い壁もある。   城壁に囲まれた町の中では、高さ20mの壮麗な『市楼』を中心に、大通り四本、曲がりくねった狭い道が72本縦横に交差している。町の中にある4000軒余の古い民家のほとんどは、明と清の時代に立てられたもので、すべて青いレンガと灰色のかわらで造られた四合院で、壁の高さは七、八mに達し、地元の特色が目立ち、そのうち400ヵ所はよく保存され、いままで漢民族が住んでいる地区でよく保存された完璧な古代住民住宅群である。町の中にはまた、規模の異なるお寺や老舗もあり、明と清の時代の繁華街の姿を表している。   平遥古城には多くの文化財や古跡がある。例えば城外にある北鎮寺の万仏殿は、中国における三つ目の古代木造建築物で、1000年余の歴史を持ている。殿内には紀元10世紀の精緻な作りの彩色塑像があり、中国早期の彩色塑像芸術を研究する手本である。また、紀元6世紀に造られた双林寺の中には10余の大きな殿堂があり、これら殿堂の中には13世紀から17世紀までの彩色の泥人形が2000余置かれ、中国古代の彩色塑像芸術の宝庫と呼ばれた。そのほか、古城の内外では、古代の石碑が至る所に見え、1000ヵ所も数えられている。   平遥古城は、中国の近代金融史上における特殊な地位を持っており、1824年、中国初の近代銀行の形を備えた『日昇昌』銭荘はここに建てられ、為替手形で伝統的な現金支払い制度を改めた。その後『日昇昌』銭荘の業務は中国だけでなく、日本、シンガポール、ロシアなどの国にも広げられ、『天下第一号』と称された。『日昇昌』票荘の誕生によって、平遥県の金融業が急速に発展し、当時中国の銭荘業務額の半分を占め、中国金融業の中心となった。平遥古城内の西大通りは100年余り前の金融街で、現在も依然として店が立ち並び、商売が盛んになり、嘗ての『日昇昌』銭荘もこれらの店の中にある。   長い歴史を持つ平遥古城は、今でも極めて大きな魅力を持っている。嘗ての城壁は、平遥県を、風格のまったく異なる二つの世界に分けている。城壁の内側には600年前の町並みや店舗、市楼がそのまま残され、城壁の外側は近代的で、新しい町である。 

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