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「私の大切な家族 」

私は中学一年まで宮城県に住んでいました。それは、私の耳が聞こえなかったからです。 幼稚園の時は毎日五時に起きて、母と二人電車に乗って宮城県のろう学校まで通っていました。しかし、三才の私にはとても大変なことでした。母は、毎日四時に起きて洗たく、朝食の支度をします。 

お父さんと自分の分のお弁当を作り、六時には、二人で家を出発しました。駐車場が近くになかったため、車を止めてから駅まであるきました。朝食はいつも電車の座席で食べました。仙台が近くなるにつれ通勤通学の人で車内はぎゅうぎゅうづめて、身動きするのもやっとの状態でした。学校に行くのには、仙台の一つ手前の駅で降りなければいけないので、そのぎゅうぎゅうづめの中を母は私を抱きかかえて、つぶされないようにやっとの思いで電車から降りてそこからまた学校まで歩きました。学校での活動を終えると、また母と朝来た道を帰るのですが、帰りの電車も人がいっぱいです。私達はずっと立ちっぱなしで、相馬の近くまできてやっと座れるという状態でした。幼い私は疲れ切っていつも母におんぶされ、寝ていました。そこで、母と二人、宮城県に引っ越しました。後から聞いた話ですが、その時は、「お父さんは、さみしくて泣いた」と婆が教えてくれました。その当時は、私小さくてよくわかりませんでした。でも、絵をかくと私の絵は、笑っているのに涙がこぼれているので、担任の先生が心配していたと母に聞きました。今となっては遠い昔ですが、きっと私も寂しかったのかなあと思います。 

長い休暇の時、原町の家に帰ると、公は飛行機を折って外で遊んでくれたり、婆はアイスを買ってくれたりしました。とても嬉しかったし、いとことも川や田んぼで遊んだりして、とても楽しい休みになりました。例えば、時々牛舎から牛が脱走して庭を散歩していたり、それを皆で追いかけることもありました。でも、家での休みが楽しかった分、宮城のろう学校へ帰る時はとてもさみしくて、車に乗ると涙があふれて止まらなくなりました。二人の弟は、大声で泣き、とてもつらい気持ちで胸がいっぱいになりました。 

時々弟とケンカすることもありますが、おもしろい時は、みんなで笑い合い、心配なことはみんなで解決し、どんな時でも私の家族は助け合っています。みんな、私の大切な家族です。たとえ離れていても心は、いつも一緒です。いつまでも家族全員が元気でいられたらいいなあと思います。 

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