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義母から、保険が満期になったから、何か要するものはないかの問いかけがあった。つましい教員年金生活の義父母が、毎月わずかながら夫名義の保険をかけていてくれたのだ。子どもたち全員が奨学金を受け、苦労して大学を卒業した。兄弟たちがましな企業に就職したなかで、唯一、政党の専従活動家の道を選択したのは、三男坊のわが夫だった。

親は「折角いい大学を出て好いところに就職したのに......。職場を辞めるなんて許せない、勘当だ!」といいながら、病気になるほど心配し続けた。そして、保険までかけてくれていた。親は有難いものである。

即座に「雛人形が欲しい」と答えた。いまから30年前の話である。

「ひな?もっと他にないの?」

働きながら、流産の体験もしながら、やっと生まれた女の子だった。6年前長男誕生のときは、日本全体が貧乏な時代だったが、それから次第に高度成長期になりつつあった。でも政党の専従活動家は、雛人形なんて考えも及ばない生活だった。

「ピアノも欲しいけど......。雛人形かピアノかで迷っている」と言った。

「ピアノならいいよ。」という義母のことばにほっとした。

保険の満期金は15万円だった。それを頭金にして、50万円のピアノを買う。月々3500円ほどのローンが始まった。

あの義母の申し出がなければ、我が家のピアノは存在しなかった。

こんな古い話を持ち出したのは、「漂流する家族」のなかに、幸田文著「ひな」を見つけ、興味深く読んだから、そこには次のような情景が書かれていた。

「無理して雛人形を買い、親たちを招いて披露した。別の日に父から呼ばれ、質問や意見をされる。

『こんな贅沢なものを買うなんて、主人は何ともいわなかったか』

『子どものためにというが、あれだけ尽くして子どもの何になったのか。』

『あれは子どもに分不相応で、私から見ればおまえが子どもの福分をうすくしたようにさえ考えられる。』」

浪費といいたいところを、福を使い果たすと言う父のことばは無遠慮にずかずかと痛いところを踏んで来るような圧力があった。

その後7、8年した離婚した。父の家に帰ったら離婚した夫から、中味のがらんどうになった箪笥と一緒に雛道具一式が送り返された。その後、空襲で東京はごった返し、雛を飾る世ではなかった。

地方へ疎開することになり、置いておいた雛人形は、それきりなくなってしまった。成人した私の娘はよく言った。「誰々ちゃんが3月になると、おひなさまを飾って貰える。いつも羨ましかった。」と。

娘が生まれて7、8年後、専従活動と縁が切れ、学習塾で経済的に立ち直り始めた。だから、子どもたちも大学まで卒業できた。

ふつうなら買えないピアノがあって。小さい頃からピアノに親しんで、今はやっと実現した。やろうと思えば、ばあちゃん、母、そして子どもたち、ささやかな「ピアノ弾く会」だって開けるではないか。

何より、我慢することが日常で、その分、喜びも大きいことを覚え......。

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