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 九歳の孫が、リズムよく、古いピアノを弾いている。 鍵盤は黄ばみ、本体の漆黒が褪せていて、処どころに小さな剥落も見られるが、音響だけは、まだまだ健在である。

 かつて、昭和の大戦争の空襲で、炎上する街の中を、右往左往と川にとび込み、命からがら逃げ惑って、無一物となった私の家族は、役人で、清廉を信条とする父を中心に、ひたすら飢餓と窮乏に耐え続ける時代があった。その、敗戦直後の、焼け跡の小学校に、或る日、一台のオルガンが届けられた。児童の私達は、ガラスが殆ど割れている窓からの冷たい風も忘れて、大騒ぎした後、ペダルを懸命に踏む先生を囲んで、声を限りに唱った。時間を忘れ、空腹もない一日だった。その、余韻のまま帰宅した私は、夜、父にピアノをせがんだ。家族六人の飢えを抱えて、ピアノどころではない父の苦悩など、微塵も知らず、九歳の私は、毎晩、食卓を指で叩いて、ピアノピアノと言い張った。幾日かして、困り果てた父は「いつか、きっと、買ってあげるから、今は我慢しなさい」と、私を叱らずに宥めた。父の暗い眼差しの奥に、深い悲しみを見た私は、ハッとなり、総てを悟ったのだった。その時の、父の眼は、六十年後の今も、記憶に鮮明である。

 戦時中の病院は、閉鎖されていて、妻を救えなかった父は、精一杯の日々の中で、幼子三人を育て上げ、老母二人を養った。

 私達三人が、自立した後、退職した父は、「お前には買えなかったが」と言って、私の、五歳になる長女に、ポンと、笑顔でピアノを買ってくれたのである。私の我が儘で、父を困らせてから、二十五年が過ぎていた。

 突然の、ピアノの出現に、大喜びした長女だったが、九歳になった頃、リウマチを患い、指の関節が、一オクターブさえ、開かなくなってしまった。仕方なく断念し、ピアノは長い長い冬眠に入った。

 十数年の後、転居することを機に、私は、思い切って、誰も弾けないピアノを処分しようと決心したところ、それまでは、見向きもしなかった、二十歳の次女が、猛反対、猛抗議をした。ピアノは、処分を免れて、家財の一つとして運ばれ、彼女の部屋に引き取られた後、また、長く、忘れられた。

 やがて、長女が嫁ぎ、次女の結婚となった時、意外にも、その彼は、ピアノを優しく、滑らかに弾ける人だった。

 そこで、漸く、ピアノは、三十八年ぶりの出番を迎えたのである。

 調律師を招き、本体の中の、捻子を締め直し、細くて長いフェルトを取り換えてみると、音が冴えて来た。ペダルを磨き、剥落も、黒ペンで塗って、見事、復活したピアノを、今では、彼だけではない。その子供までが、楽しんで弾くようになっている。

 戦後の食糧難と、物の乏しい時代を、三人の子育てをしながら、生き抜いて来た父が、幼い子供との約束を、ずっと、心に忘れず、私の、昔の夢を叶えてくれたのである。その、二十五年の歳月は、さぞ、父には、長く、辛かったことだろう。

 愛の籠った、大切なピアノを、愚かにも、私は、捨ててしまうところだった。

 私の非を責め立て、泣いて訴え、諫めて、祖父の形見のピアノを、必死に守り通した次女に、私は、心の底から恥じ入り、唯々、感謝するのみである。

 長い半生をかけて、約束を果してくれた父に、私は、何一つ、孝行をしなかった。

 この恩知らずな私を、父は許してはくれないだろうが、次女のおかげで、ピアノだけは孫が受け継いでいる。

 孫は、何も知らず、無心に、鍵盤の上で、指を踊らせている。

 この、曽孫の弾く、小さな指先の様子を、目を細めながら、父が、眺めていてくれることを、私は、願うばかりである。

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